勢いで書いた記事のほうがウケが良かったりするのはなぜなのか
タイトルの通り。
勢いで書いた記事のほうが、せっせこ温めてきた記事よりウケが良かったり反響があったりする。
(これブログにあげようかなぁ?いやぁ勢いでぶわーって書いちゃったけど微妙かなぁ?書いただけでなんか満足しちゃったし、やっぱやめとこうかなぁ?)
↑こういう気持ちのときのやつ。たぶんブロガーあるある。
自分の過去記事でいうとこれ↓
まぁタイトルで購読意欲煽った感は否定しないけど。
それでもこんなにブクマされると思わなかったしスターなのかヒトデなのかもらうと思わなかった。
で、本題。
そういった勢いで書いちゃった記事をブログに公開するかどうかについて。
自分の中では結論が出ているので先に言うと、
構わん!その勢いで公開しよ!
公開せずに後悔するよりは、公開して後悔しよう!
こう、書いてこうこうこうってなったら航海にでも出よう!
黄海にでも行こうかいつって、間違って紅海まで行って、幸か不幸かイイ感じの(文章はここで途切れている)
というわけでこの結論に至った理由書いていきます。
何がウケるかわからない
これな。もうほんとうこれ。
読者に何がウケるのかほんとうわかんない。読者なんなんってぐらいマジ意味わかんない。
もちろん渾身の狙った記事書いてすげぇ読まれるすげぇ人たちもすげぇいる。
ただそういうすげぇ人たちでさえも、意図せずふわっと書いた記事がすげぇ反響あってすげぇことになって「すげぇ・・・」ってなってたりする。
これはブログに限らず言えることで、最近で言うと、うろ覚えだけどあのアッポーナッポーペンペンペンみたいなやつとかね。
もはや発信者さえも「わけがわからない」って制御不能になるぐらいのムーブメント起こす感じ。
つるって落としたシャワーが水を得た魚のようにぐねんぐねんはしゃぎだすあの感じ。
所詮書いてる本人の良いかどうかの判断なんて70億分の1の意見でしかないわけだから、
「できたけどつまんねポイー」なんてしてるのはそれをすてるなんてとんでもない状態なわけで、
「とりあえずあげてみるかポイー」ぐらいの気持ちで投下してみたほうが棚からぼた餅得られるラッキーがあるかもしれないしいいんじゃないだろうか。
思いが溢れ出てる感
読者意味わかんねぇとか言っておきながらも、ウケるにはそれなりの理由はあると思うので深掘りしていく。
自分の記事を客観的にというよりは他の人の勢いで書いた感ある記事を見て思うこと。
やっぱりなんかこう本音というか思いが溢れ出てる感がある。
理路整然としていなくて「なにいってんだこいつ」となってる部分もあるんだけど、それでもなんか伝えたい思いを感じる文章になっている。
実際うんうん唸って書いた文章よりも、うりゃって書いたときの文章のほうが気持ちを乗せられている感がある。
文章に勢いも出たりする。
あまり詳しくないのでヘタなこと言えないけどいわゆるロック魂ってやつ。魂で歌うってやつ。
ヘッタクソで滅茶苦茶な文章でも魂で書けば伝わるんじゃないかってYAZAWA思うな。
推敲はもちろん大事だと思うしマジメなこと書くときは誤解を招かないように言葉づかい選んだりする必要があるとは思う。
ただそうでもないときなんかはスッと思いの丈をぶつけるように書いたほうが伝わるんじゃないかって。
言葉づかいとかも素に近くなるけどその方が伝わるんじゃないかって。
よく「レビュー記事は友人にすすめる感じで書くと良い」と言われるし。
それに「がんばって書いた。だから評価される」となるような、「うんうん、残業してんながんばってんな」で評価される古臭い会社みたいなことにはならないしね。
あくまで出たとこ勝負の世界。
であれば「満足行く感じには書けなかったけどがんばって書いたし・・・」でブログあげるのも、
「えーい、ぱっぱらぱっぱっぱー」でブログあげるのも同じじゃないかっていう。
旬な内が一番おいしい
勢いで書くということは衝動に突き動かされたなにかがあってということが多い。
それが世間的にも話題性があるのなら、みんなその話題の新たな情報に飢えているしなんかしらウズウズしている。
そんな中に勢いで書いた記事を「いやでもちょっと間を置いたほうが・・・」とかためらってると話題は過ぎ去ってしまい、今更感ある内容になってしまう。
それこそ冒頭であげたあの記事(月間100万PVブロガーのヒトデ氏に弱小雑記ブロガーが反論するよ - はいもしもし儚き命です!)は、
ヒトデ氏が公開した翌日にあげたからそこそこ反響あったけど、
1週間後の今あげてたら「だれだよ」で終わってたはず。
(いや1週間前も誰だよ旋風が巻き起こってた感あるけどそこは文脈で目をつぶってもらって)
まぁ要するに、旬の時期ってそれだけ需要があるので供給するなら需要ある内にっていう、社会経済に関する難しいお話でした。
勢いで書いたからで許される感
「クオリティよりもスピード重視なんで(キリッ」
とは言わないけど、とりあえず体裁とか無視して勢いで書いたぜーってのはクオリティ低くてもなんか許される感ある。
これ正直ブログに限らず仕事とかでもたまにやるけど。
許す許さないとかいう話になると「酔った勢いで~」感が出てくるけど。
いったん間を置いて気を引き締めて「さて・・・」で読まれるより「そっかー勢いかー」で読まれたほうがハードル下がってるだろう感。
もちろんなんでも許されるわけではないのでバーサク一歩手前のある程度理性保った状態がよい。
おわりに
結局何が言いたかったんだこの記事感あるけど、この記事も勢いで書き始めたからそりゃあもうほら、ね(許しを請う目)
まぁ、勢いで書く記事も需要があるんだ、だからウケることがあるんだっていうのを書きたくなった。
もちろん温めてた記事でウケを狙って書けるようになるのがベストだし、すげぇ人たちはそれができるからすげぇんだけど。
ちなみに勢いでとは言っても本当に「よし書いたびゃぁあああ!」で公開しているわけではなく、読み返してからあげてます。
そんな感じで勢いではてなもProにして独自ドメインになりました。
メンテとかはまぁそのうち・・・(勢いでやった後の無計画感