【書評】『東大卒プロゲーマー』で語られている自伝が面白かった
情熱や闘争心は、以前の僕にとっては自分自身でも意識することができない、心のなかの霞のようなものだった。それが、さまざまな経験をし、その経験を味わうことで、徐々に形を現してきたのだ。
僕は恵まれた家庭に育ち、いとも自然に東大を目指し、安定志向で、公務員試験の最終面接まで進んだ男だ。大冒険などするはずもないような人生だった。
でも、それらを全部捨てて、プロゲーマーになった。
上記は、東大卒で東大大学院まで進むも中退してプロ格闘ゲーマーとなった「ときど」著作『東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない』の序章の文章である。
ジャンルとしては自己啓発本に分類される本書であるが、上記序章の文章から始まるように自伝として綴られているところが小説的な読み物としても面白かった。
ゲーマーな人にも、そうでない人にもおすすめできる本だと思う。
そもそも「ときど」って誰?どんな人?
プロゲーマーという職業がどれぐらい認知されていて、その中で実際活躍しているプロゲーマーがどれぐらい認知されているのか。
世間的にはせいぜい「ウメハラ」って人は聞いたことあるけど~って感じだろうか。
そんな人にざっくりと「ときど」を説明するなら、「ウメハラ」と同じく格闘ゲームのプロゲーマーであり、東大現役時代から(厳密にはそれ以前から)有名なトッププレイヤーである。
数多くの格闘ゲームで上位の成績を収め、優勝回数は世界一のマルチプレイヤー。
「寒い」と言われる程の勝利主義者で合理的プレイに徹していた人。
過去形なのがミソで、本書のサブタイトル通り、大事なのは情熱だと悟った今は、違う。
と、説明しつつもそんなに詳しくないので後は以下ページ参照してもらって、良かった点をつらつらと書いていく。
有頂天になって、転落して、また情熱を取り戻して・・・その過程が面白い
小説的な面白さと言った以上、「ときど」の人生を語ることがネタバレになる(目次見ればわかっちゃうんだけど)のであまり書かないけど、その浮き沈みの激しさが面白い。
トッププレイヤーだったり東大大学院まで行けちゃうような彼なので、浮きの部分の実績が凄まじい。
ただ彼にはそこで有頂天になるような人間臭さがあり、故に挫折して沈んだときの悲壮感が物凄く伝わってくる。
そこからまた情熱を取り戻していく過程もまた熱く、面白い。
是非最初は、目次を見ず先の展開がどうなるかハラハラしながら読むのをおすすめする。
目次を見ただけで面白い
前項と矛盾してるようなこと書いてなんだけど、目次に記載されているサブタイトルが秀逸。
以下、一部抜粋
・ 「東大まで出て、なんでプロゲーマー?」
・「ラオウ」下の日々
・情熱なき成功には意味がない
・そして僕は死体になった
・Tシャツ、売ります
何の話だかよくわからないけど内容が気になる。
子供時代から今現在に至るまでの様々なエピソードが赤裸々に語られていて、その一つ一つが面白い。
心に響く言葉
ジャンルとしては自己啓発本である。
でも、自伝として「このときこう思った」「こういうことに気付いた」という風に語られるので押し付けがましさが無く、すっと心に響く。
最も印象深く残ったのは、「ときどは強いけど戦い方がつまらない」と言われその度に「強いことを認めてもらえれば。勝てればそれでいい」という考えだった彼がある大会での惨敗をきっかけに改めたところ。
僕のプレイの「つまらなさ」は、「考えの浅さ」に起因するものだった。
(中略)
セオリーからは生まれない、だから真似もしにくい、あの「面白い戦い方」こそが「強い」、という可能性はないのだろうか。
セオリーに忠実であれば80点は取れるし、ある程度は勝てるけれど、その先を目指そうとすると限界が来るというもの。
セオリー通りにある程度のところまで行けるようになってそこで思考停止して結局勝ちきれないということが多い自分としては耳が痛かった。
住んでる世界やレベルは雲泥の差ではあるけれど、この本には共感することがとても多かったのも、良かったと思う点の一つだ。
終わりに
本書のメインテーマである『情熱』については、各章で度々触れられるのだけど、その一つとして次のような表現がされている。
ひょっとしたら、情熱の炎は聖火リレーのようなもので、世代を超え、ジャンルを超えて、人の心に伝播していくものなのではないだろうか……と。
言い得て妙だと思えるしこの詩的な表現、良い本だなと改めて思った。
ときどさん素晴らしい。